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4月9日(昭和17年) バターン半島の米比軍降伏

4月9日(昭和17年) バターン半島の米比軍降伏

1月2日、日本軍はマニラを無血占領。米比軍はバターン半島へ退いた。

こうして戦場はバターン半島に移るのであるが、第14軍は逃げた敵を追撃するといった程度の考えだった。そのため、もともと占領後のマニラ市の警備を担当するための第65旅団に、攻略が命令される。第65旅団に戦車・重砲・歩兵各1個連隊が追加され、1月8日から攻撃が開始された。

しかし、バターン半島への後退は米軍があらかじめ予定していた行動であり、堅固な陣地を築いて日本軍を待ち構えていた。

第65旅団は戦力不足ながら善戦したものの、1カ月間の戦闘後攻撃は中断される。

事態を重くみた南方軍は2月末から3月初めにかけて、第4師団、第5・8師団からそれぞれ歩兵1個連隊、さらに砲兵2個連隊等兵力を増強。

4月3日から総攻撃が再開される。大口径砲だけでも300門以上の砲撃と、航空部隊による爆撃に援護された歩兵部隊が急速に半島に浸透。
米比軍も抗しきれず、9日降伏した。

その後にいわゆる「バターン死の行進」と呼ばれる悲劇がおこる。

投降した米比軍捕虜は約10万におよび、その多くがマラリアにかかっていた。
予想もしなかった多数の捕虜を後送する輸送手段はなく、食料も不足していた。
こうして90km余りを徒歩で移動させた結果、17000名の死者を出した。

戦後、その責任を問われた第14軍司令官本間雅晴中将は処刑される。
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4月9日(昭和17年)バターン半島の米比軍降伏1月2日、日本軍はマニラを無血占領。米比軍はバターン半島へ退いた。こうして戦場はバターン半島に移るのであるが、第14軍は逃げた敵を追撃するといった程度の考えだった。そのため、もともと占領後のマニラ市の警備を担当する...

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