知覧特攻平和会館 /鹿児島県川辺郡知覧町郡17881 TEL 0993-83-2525知覧特攻平和会館は大戦末期、沖縄決戦において特攻作戦に参加した隊員の遺品や関係資料を、当時の真の姿を後世に残し、恒久の平和を祈念することを目的に展示しています。小泉元首相がここを訪れて、在任中に靖国参拝を欠かさなかったのは有名な話です。
展示ホールには、鹿児島県手打港の沖約500メートル、水深約35メートルに海没していたもの引上げた零戦が、戦いの激しさを静かに物語っています。
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知覧は鹿児島の小京都と言われるような静かな町であった。
近くには江戸時代参勤交代時、京都の様式を模倣したといわれる武家屋敷群がたくさんの観光客で賑わっている。
しかし少々違和感を覚えるのは私だけではないだろう。
沿道にならぶ異様な数の灯籠が目に入るのだ。
灯籠に近づき目をこらしてみるとそれが特攻兵士の慰霊灯籠であることに気づく。
そしてここに数ある特攻基地の中でも沢山の若い兵士が日本の為に飛びたった、陸軍特別攻撃隊知覧基地があった事を認識するのだ。
知覧特攻平和会館へ訪れたなら、まず会館横にひっそりと佇む知覧特攻平和観音像に手を合わせて欲しい。
この観音像は知覧の母と言われた鳥濱トメさんが終戦後、國の為に散っていった兵士の鎮魂慰霊のため、知覧市に建立を促し89歳で永眠するまで祈り続けました。
さて、会館に入るとすぐに目につくのは正面の大きな壁画です。
仲矢勝好氏の描く「知覧鎮魂の腑」です まさに敵艦に特攻する直前、敵艦の艦砲射撃で火を噴く特攻機から息絶えた兵士をやさしく天国に導くように抱きかかえている天女の図です。
私は、初めてここを訪れたとき、この壁画の前で20分以上佇み、そして涙ぐんでいたのを思い出します。
哀しい、哀しすぎる現実です。
資料室はいくつにも分かれていますが、圧巻はここから旅立ち帰らぬ若い兵士達一人一人の記録です。
ここより飛び立ったのは1036柱 全員の顔写真と遺族より提供された特攻前の手紙、写真、遺品などが所狭しと陳列されています。 陳列台にある手紙を読んでゆくだけで半日以上かかります。 きっと読むのが次第に辛くなり立ち止まってしまうでしょう 特攻前の彼等の思いは自分たちが尊い犠牲になることで戦争が好転するであろうとの強い意志が伝わってくるからです 戦争に負けるのではないかという疑問は微塵も感じられません 未来の日本が良くなるために尊い犠牲となってくれた彼等の気持ちを思うと、現代における日本の姿を考えると恥じ入り、申し訳なく思ってしまいます
その他、海底から引き上げられた特攻機の残骸や歴史上における特攻作戦の資料なども展示されています。
平和会館はまさに知覧基地でもありましたので、会館の外には特攻を待つ兵士が宿泊した三角兵舎なども復元展示されています。
彼等は特攻までの短い時間をここで過ごしたのです。 家族のため、國のため、散花していった彼等の思いに胸が締め付けられるでしょう。
ここを訪れる時は時間の余裕を持って来て下さい。
生き生きとした目をした彼等の写真と対峙して下さい。あっという間に数時間が過ぎる事でしょう。
そしてできれば平和会館で「鎮魂の記録」という本を買って帰って下さい。
記憶は薄れて行きますが、この本があればいつでもあの時に戻る事ができるのですから。
最後に、日本中の学校の修学旅行の行き先にこの知覧が選ばれるような國になってほしいと思います。
合掌
(大阪府在住 50代 男性)
若き特攻兵士たちが知覧の母と慕った 島濱トメさんの食堂が復元され資料館となっています

散花した英霊の数だけ知覧の街には献灯がならびます

会館前から続く桜並木 潔く咲いて散ってゆく桜花は特攻兵士の好む花であったでしょう

全国から知覧基地へ集まって来た若き兵士が特攻命令までの僅かな時間を過ごした兵舎
沢山の遺書もここで書かれたのでしょう

知覧特攻平和観音像が納められているお堂
兵士たちの鎮魂の為、島濱トメさんが知覧市に建立させたものです

平和会館
ここから来場者はそれほど遠い昔でない日本が体験した時代にタイムスリップするでしょう
参考) 映画 「俺は、君のためにこそ死ににいく」
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知覧、一度は行ってみたいところです。あの当時の特攻隊員の皆さんが何を想い日々を過ごしたのか・・・かの地に行って考えてみたいと思うのであります。