5月29日(昭和18年) アッツ島守備隊玉砕5月12日北海守備隊第2地区隊長山崎保代大佐以下2600名が守るアッツ島に、米第7師団11000名が上陸。山崎大佐は水際ではなく、高地に陣地を構築し待ち構えていた。日本軍守備隊の頑強な抵抗と濃霧により米軍の進撃は思うにまかせず、直接の指揮官である第7師団長が更迭されるという事態にもなった。しかし大本営は18日にはアッツ島放棄、キスカ島撤収を決定しており、もちろん守備隊は...
5月27日(昭和19年) 米軍ビアク島に上陸ニューギニア北西に位置するビアク島は、これを手に入れればフィリピン南部を爆撃圏内にできる飛行場があり、戦略的要衝であった。5月27日米第41師団が上陸したが、日本軍の守備兵力を過小評価していた。同島には歩兵第222連隊長葛目直幸大佐指揮の陸海軍約1万名が守備しており、守備隊は1カ月余り米軍の飛行場使用を阻止し続けた。米軍は飛行場のある南部を6月末までに占領、葛目大...
5月11日(昭和20年) 海軍菊水6号作戦 陸軍第7次航空総攻撃海軍11隊47機、陸軍15隊35機が、沖縄海域の米艦隊に突入。このうち、ミッチャー中将指揮の第58任務部隊の旗艦、空母「バンカーヒル」に2機の特攻機が命中、同艦は大破。ミッチャー中将は旗艦を「エンタープライズ」に変更したが、3日後には同艦も特攻機の突入を受け、中将は再度旗艦の変更(「ランドルフ」)を余儀なくされた。またこの日の攻撃で、駆逐艦2・輸...
5月10日(昭和20年) 振武集団の組織的抵抗終わる3月初旬、米軍は3個師団の兵力でマニラ東方高地にあった横山静男中将指揮の振武集団に攻撃を開始した。振武集団は第8師団を中心に第81・82旅団、マニラ防衛隊など約8万の兵力であった。(第105師団は北部に転用)日本軍の戦力を過小に評価した米軍は、日本軍特に中迫撃砲第4連隊の砲撃により第6師団長が戦死する等大きな損害を出して攻撃を中断した。米軍は攻撃正面を変えて...
5月7~8日(昭和17年) 珊瑚海海戦第一段作戦を成功させた日本はオーストラリアが米軍の反撃拠点となると考え、米濠遮断を企図した。そのためニューギニア南東岸にあるポートモレスビー攻略(MO)作戦が実施される。これを担当したのは第4艦隊(司令長官井上成美中将)で、五藤存知少将指揮の攻略部隊(小型空母「祥鳳」・重巡4・軽巡3・駆逐艦7)と、高木武雄少将指揮の機動部隊(空母「翔鶴」・「瑞鶴」・重巡2・駆逐艦6...