4月22日(昭和19年) 米軍ホーランジア、アイタペに上陸1月2日のグンビ岬上陸から100日余りの準備期間をおいて、マッカーサー将軍は一気にホーランジア、アイタペに「蛙跳び」した。ホーランジアに2個師団、アイタペに1個旅団が上陸。ホーランジアには14000名あまりの日本軍がいたが、ほとんどが兵站と航空部隊で、一定の抵抗はしたもののジャングルへ後退。アイタぺにも2000名あまりの日本軍が駐屯していたが同様であった。...
4月18日(昭和17年) 米機動部隊による日本本土初空襲ハルゼー中将指揮の機動部隊(空母「ホーネット」・「エンタープライズ」重巡3軽巡1駆逐艦7)が日本近海に接近。東京まで1200キロの海上で「ホーネット」に搭載されたB25爆撃機16機を発艦させる。指揮官はドーリットル中佐であった。爆撃隊は東京・名古屋・神戸などに爆弾を投下後、中国大陸へ向かい不時着。日本側の被害は軽微なものであったが、本土空襲を許したとい...
4月16日(昭和20年) 海軍菊水3号作戦、陸軍第3次航空総攻撃4月6日の1号作戦・1次総攻撃に匹敵する520機が参加。そのうち特攻機は、海軍22隊165機、陸軍11隊53機。この攻撃により空母「イントレピッド」が大破、駆逐艦1隻撃沈、5隻を大破させた。日本側の未帰還は190機。沖縄海域での特攻作戦において米艦隊の損害で多かったのは、この日もそうであるが駆逐艦である。その多くはレーダーピケット艦(艦隊・船団の周囲100浬...
4月12日(昭和20年) 海軍菊水2号作戦、陸軍第2次航空総攻撃6日の1号作戦、1次総攻撃に続き実施された。海軍8隊69機、陸軍14隊53機の特攻機が参加。通常攻撃機、直掩機等総出撃機数は468機。この攻撃で戦艦「アイダホ」・「テネシー」・「ニューメキシコ」を中破、駆逐艦1隻を撃沈、8隻を大破させた。なお、去る3月21日の北九州航空戦において「桜花」を搭載した神雷攻撃隊が全滅した教訓により、その後は少数機による攻撃...
4月9日(昭和17年) バターン半島の米比軍降伏1月2日、日本軍はマニラを無血占領。米比軍はバターン半島へ退いた。こうして戦場はバターン半島に移るのであるが、第14軍は逃げた敵を追撃するといった程度の考えだった。そのため、もともと占領後のマニラ市の警備を担当するための第65旅団に、攻略が命令される。第65旅団に戦車・重砲・歩兵各1個連隊が追加され、1月8日から攻撃が開始された。しかし、バターン半島への後退は...