3月26日(昭和20年) 米軍慶良間諸島に上陸米軍は沖縄本島への上陸に先立ち、那覇の西25キロの沖合にある慶良間諸島に上陸した。大小の島々に囲まれた穏やかな内海を泊地として利用するのが目的であった。日本軍は山がちなこれらの島々に米軍が上陸するとは予想せず、座間味・阿嘉・渡嘉敷島に、モーターボートに爆弾を装備し敵艦に体当たりするという特攻挺部隊(海上挺進第1~3戦隊300隻)を配備していた。これら部隊は、米...
3月21日(昭和20年) 特攻兵器「桜花」初出撃するも全滅「桜花」は機体前部に1.2トンの爆弾を装着した一人乗りグライダーで、一式陸攻により目標近くまで運ばれ、母機から切り離された後は数分間ロケットエンジンの噴射で滑空し、敵艦に体当たりするという特攻兵器であった。その初出撃が、九州沖航空戦の最終日であった。海軍第721航空隊野中五郎少佐指揮の第1神雷攻撃隊の一式陸攻18機(「桜花」搭載は15機)は、33機の零...
3月18日(昭和20年) 九州沖航空戦始まる沖縄上陸作戦に先立ち、ミッチャー中将指揮の第58機動部隊(空母10軽空母6中心)の艦載機が九州を中心に西日本に来襲。18日には延べ1000機が南九州の日本軍航空基地を、19日にはほぼ同数機が阪神地区・呉軍港・北九州を空襲。これに対して、沖縄戦に備えて九州各地に展開していた宇垣纏中将指揮の第5航空艦隊が迎撃。21日までの4日間にわたり延べ700機が出撃。空母「フランクリン」を...
3月11日(昭和20年) 梓特別攻撃隊ウルシー泊地に突入連合艦隊は、硫黄島で作戦中の米機動部隊が、補給整備のために西カロリン諸島ウルシー泊地に戻るタイミングをとらえて攻撃しようと計画。これが「第二次丹作戦」と呼ばれるものである。午前9時、第762航空隊の陸爆「銀河」24機が鹿屋基地を出撃。第801航空隊の二式大艇に誘導され、2500キロ先のウルシーを目指した。しかし途中で故障機(「銀河」はエンジンの不調が常で...
3月10日(昭和20年) 東京大空襲B29による日本本土空襲は19年6月から始まっていたが、当初米軍は軍需工場を目標にした精密爆撃を行っていた。しかし、それでは効果不十分とみたアメリカは、都市への焼夷弾による無差別爆撃へと方針転換する。それまで指揮をとっていたハンセル准将を更迭、ルメイ少将がその後任になる。その第1回目の大規模空襲が、この日東京の下町に対して行われた。10日午前零時過ぎ、約300機のB29が東...