1月29~30日(昭和18年) レンネル島沖海戦1月29日、ギフェン少将指揮の第18任務部隊(重巡3軽巡3駆逐艦6)に対して、ラバウルを出撃した96式陸攻15機と1式陸攻15機が夜間雷撃をかけ、重巡「シカゴ」を大破させる。翌30日には1式陸攻11機が昼間雷撃を実施。曳航されていた「シカゴ」を撃沈、駆逐艦1隻を大破させた。日本側は両日で、陸攻10機を失った。...
1月23日(昭和17年) 日本軍ラバウル占領ニューブリテン島ラバウルは、日本にとって戦略的に重要な場所であった。その飛行場からは日本海軍の根拠地であるトラックに重大な脅威を与え、良好な港湾は連合軍の反撃拠点になることが予想された。ここには少数のオーストラリア軍守備隊がいたが、軍事施設を破壊して早々と撤退していた。22日夜上陸した南海支隊(支隊長堀井富太郎少将)は、翌日には無血占領。この後ラバウルは、...
1月18日(昭和19年) キアリの第51・20師団マダンへ向かう東部ニューギニア戦線において、10月中旬サラワケット越えをしてきた第51師団と、12月にはフィンシュハーフェンから後退してきた第20師団がキアリ付近で合流。戦力の回復を図っていたが、年が明けた1月2日、米軍はキアリとマダンの中間にあるグンビ岬に上陸。このため両師団の残存兵13000名は、この敵を避けてフィニステル山系を縦断しマダンを目指すことになる。...
1月12日(昭和20年) ヒ86船団壊滅昭和20年1月12日ヒ86船団壊滅の日。1月9日、ハルゼ―大将指揮の米第3艦隊が南シナ海に侵入。仏印一帯の日本艦船に襲いかかった。その時、南方の重要資源を本土へ輸送中のヒ86船団が標的となる。輸送船・タンカーなど33隻と護衛の軽巡「香椎」・海防艦等6隻が全滅する。...
1月11日(昭和17年) 海軍落下傘部隊セレベス島メナドに降下メナドはセレベス島の北端に位置し、港と飛行場があり蘭印攻略のための要地であった。堀内豊秋中佐指揮の横須賀特別第1陸戦隊2個中隊334名が27機の輸送機に分乗、フィリピンのダバオを出撃し、11日午前10時頃メナド近郊のランゴアンに降下、ただちに飛行場を占領。同時に陸戦隊主力がメナド近郊に上陸、同市を占領した。メナドを制圧した日本軍は、さらにケンダリー...