11月30日(昭和17年) ルンガ沖夜戦11月14~15日の輸送船団の壊滅後、ガダルカナル島への物資輸送はいよいよ困難を極めていた。そんな時考案されたのが、駆逐艦によるドラム缶輸送であった。その最初の任にあたったのが、第2水雷戦隊司令官田中頼三少将率いる駆逐艦8隻である。2水戦の接近を察知していた米軍は、ライト少将指揮の重巡4・軽巡1・駆逐艦6で待ち構えていた。しかし、日本艦隊は得意の魚雷戦で対抗...
11月29日(昭和19年)空母「信濃」沈没「信濃」は大和型戦艦の3番艦として建造中であったが、ミッドウエー海戦の結果空母に改造され、11月11日横須賀で完成。最終整備と空襲を避けるため呉へ向かっていた。しかし、29日潮岬沖で米潜「アーチャーフィッシュ」の雷撃を受け、4本が命中し沈没。...
11月25日(昭和18年) マキン・タラワ島の日本軍守備隊玉砕11月21日、ギルバート諸島のタラワ・マキン両島に米軍が上陸。タラワ島には海兵隊約18000名、マキン島には陸軍部隊約6500名の兵力であった。これに対する日本軍は、タラワ島に第3特別根拠地隊司令官柴崎恵次少将指揮の約4500名。マキン島にはその分遣隊約700名が守備していた。(いずれも半数は設営隊員)特にタラワ島においては、日本軍が水...
11月21日(昭和19年)戦艦「金剛」沈没11月16日レイテ沖海戦で生き残った戦艦「金剛」は、「大和」・「長門」ら共にブルネイを出港、内地へ向かった。21日台湾沖で米潜水艦が放った魚雷4本が命中、約2時間半後に沈没。平洋戦争中、潜水艦の雷撃で撃沈された唯一の戦艦となった。...
11月14~15日(昭和17年) 第38師団を運ぶ輸送船団壊滅第三次ソロモン海戦一次夜戦の結果、いったん被退していた輸送船団は、「鈴谷」・「摩耶」の飛行場砲撃成功の報を受け、再度ガダルカナル島を目指した。護衛には田中頼三少将指揮の第2水雷戦隊の駆逐艦11隻がついていた。しかし、14日夜が明けると米軍機が来襲。空襲は一日中続き、輸送船11隻中6隻が沈没、1隻が大破し引き返した。「鈴谷」・「摩耶」の砲...