10月26日(昭和17年) 南太平洋海戦ガダルカナル島における陸軍の総攻撃に合わせ、近藤信竹中将指揮の第2艦隊と南雲忠一中将指揮の第3艦隊がソロモン海域に出撃。第2艦隊には角田覚治少将指揮の空母「隼鷹」、第3艦隊には南雲中将直率の空母「翔鶴」・「瑞鶴」・「瑞鳳」があった。これに対し米軍も、空母「エンタープライズ」を中心とするキンケード少将指揮の第16任務部隊と、空母「ホーネット」を中心とするマレー少...
10月25日(昭和19年) レイテ沖海戦3日目(志摩艦隊の反転)西村艦隊に続きスリガオ海峡に入った志摩艦隊であったが、未明に西村艦隊の惨状を見、さらに旗艦である重巡「那智」と西村艦隊の一艦である重巡「最上」が衝突してしまう。「那智」は艦首を大破、敵状もわからないことから志摩艦隊は反転した。(サマール沖海戦)24日深夜サンベルナルジノ海峡を無事通過した栗田艦隊は、25日早朝サマール島沖で米艦隊と遭遇した...
10月24~26日(昭和17年) ガダルカナル島で第2師団が総攻撃一木支隊・川口支隊の失敗に鑑み、当初大兵力による正攻法の攻撃を考えていた参謀本部と第17軍であったが、物資輸送(特に重火器類)が計画通りに行えず、また米軍の兵力増強もあり、結局前回の川口支隊同様ジャングルに分け入り飛行場の南にある山(オーステン山)側からの攻撃となった。しかし、まともな地図もなく磁石をたよりにジャングルを切り開くわけで...
10月23日(昭和19年) レイテ沖海戦1日目連合艦隊は10月18日、米軍のフィリピン来攻は必至とみて「捷一号作戦」を発動。レイテ沖に現れた敵輸送船団の撃滅を図ることになる。これを受けて20日には、小澤治三郎中将指揮の機動部隊(空母4・航空戦艦2・軽巡3・駆逐艦8)が瀬戸内海を、21日には志摩清英中将指揮の第二遊撃部隊(重巡2・軽巡1・駆逐艦4)が沖縄を出撃した。そして22日には、今回の作戦の主力である栗...
10月20日(昭和19年) 米軍レイテ島に上陸米第10軍団がレイテ島タクロバンに、第24軍団が同ドラグに上陸。マッカーサー大将は2年半前の「アイシャルリターン」の約束を果たした。上陸した米軍約10万に対して、この島を守る日本軍は第16師団だけだった。しかし、台湾沖航空戦の大戦果を信じた陸軍はレイテで決戦できると考え、着任したばかりの第14方面軍司令官山下奉文大将にレイテへの兵力増強を命令した。従来...