8月24日(昭和17年) 第二次ソロモン海戦一木支隊先遣隊に続き、砲兵隊を含む後続部隊を運ぶ輸送船団を支援するため南下した南雲機動部隊(空母「翔鶴」・「瑞鶴」・「瑞鳳」中心)が、フレッチャー中将指揮の第61任務部隊(空母「サラトガ」・「エンタープライズ」中心)と交戦。日本側は小型空母「龍驤」が沈没、航空機60機を失い、輸送作戦も実施できなかった。米軍は「エンタープライズ」が中破、航空機の損失は20機...
8月21日(昭和17年) ガダルカナル島において一木支隊壊滅8月18日ガダルカナル島奪回のため、歩兵第28連隊(連隊長一木清直大佐)の先遣隊約900名が6隻の駆逐艦により、タイボ岬に上陸。米軍はこの上陸を察知しており、イル川に沿って陣地を構築し一木支隊を待ち構えていた。21日未明支隊はイル川を渡って突撃したが、米軍の反撃で壊滅。約800名が戦死した。...
8月15日(昭和20年) 終戦の日広島の原爆、ソ連の対日参戦、長崎の原爆と、日本にとってたて続けに決定的な出来事が続いた。しかし、それでもなお陸軍を中心に戦争継続が主張されていた。態度を決めかねた政府は、9日に続いて再び14日にも御前会議を開き、天皇のご聖断を仰いだ。最終的に、国体護持のみを条件としてポツダム宣言を受け入れることを連合国に通知。クーデターを図ろうとした陸軍将校たちもいたが、結局15...
8月13日(昭和17年) 南海支隊ブナに上陸珊瑚海海戦の結果延期されていたポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)が、大本営派遣参謀辻政信中佐の独断専行により発動される。これにより第17軍司令官百武晴吉中将は、南海支隊長堀井富太郎少将に作戦の実施を命令。補給の困難さを理由に本作戦に消極的であった堀井支隊長であったが、主兵力である歩兵第14連隊とともに、13日ブナに上陸。先に上陸していた横山先遣隊(独立工...
8月11日(昭和19年) グアム島の日本軍守備隊玉砕7月21日米軍グアム島に上陸。同島には第29師団を中心とする18500名の日本軍が守備についていたが、米軍上陸直後の最初の戦闘で戦力の大半を失い、24日にはサイパン島から出張して在島していた第31軍司令官小畑中将は大本営に決別電報を打っている。しかし残存する部隊は抵抗を続け、8月11日の小畑中将の自決でもって、同島における組織的抵抗は終わったとさ...