7月30日(昭和20年) 伊56潜が米重巡「インデイアナポリス」を撃沈7月18日、回天特別攻撃隊多聞隊として出撃した伊56潜が、テニアン島に原爆の起爆装置とウラン235を運搬後、グアム島に向かっていた米重巡「インデイアナポリス」を雷撃により撃沈する。日本潜水艦部隊の最後を飾った。...
7月29日(昭和18年) キスカ島撤収作戦決行される昭和18年5月20日、アッツ島放棄、キスカ島守備隊の撤収が決定される。キスカ島には北海守備隊司令官峯木十一郎少将指揮の陸軍2500名と、第51根拠地隊司令官秋山勝三郎少将指揮の海軍3400名が在島していた。初めは潜水艦による撤収が延べ13回行われ800余名を引き上げさせたが、潜水艦の損害も大きく、結局水雷戦隊による一挙撤収に方針変換された。この任に...
7月28日(昭和16年) 日本軍南部仏印に進駐するこの進駐は前年に援蒋ルート遮断を目的に行われた北部進駐とは意味が違い、日本が米英と開戦した場合の南方作戦の前進基地を確保することが目的であった。これに対して、アメリカは日本の予想以上に強く反発した。すぐさま、日本の在外資産の凍結と石油の対日輸出を禁止した。特に石油の禁輸は決定的で、結局日米間の外交交渉の大きな足かせにもなり、対米開戦の要因ともなった...
7月26日(昭和20年) 米・英・中によるポツダム宣言発表される。7月17日から8月2日にかけて、米大統領トルーマン、英首相チャーチル、ソ連スターリンの三巨頭が、ベルリン郊外のポツダムで会談。その途中の本日26日、日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言を発表する。ソ連はまだ対日参戦前で国名は連ねず、中国に対してはほぼ事後承諾に近かった。宣言文は、ほとんどアメリカ政府による起草だった。これに対して日本...
7月18日(昭和19年) 東條英機内閣総辞職し、22日小磯国昭内閣発足サイパン島陥落の責任をとり東條内閣が総辞職する。この後総理大臣小磯国昭、陸軍大臣杉山元、海軍大臣米内光政、参謀総長梅津義治郎、軍令部総長及川古志郎という新体制になったが、あくまで戦争完遂が第一目的に変わりはなかった。...